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東杜来のブログです。月に1,2回の更新。

syrup16gの歌詞を、真面目に解釈してみる。「coup d'Etat-My Love’s sold」編

 いきなりになるが、かつてブログでも書いた通り、自分はsyrup16gというバンドがかなり好きだ。syrup16gというバンドは、実に一言で説明するのが難しい。

 いわゆる陰鬱な歌詞を書く鬱バンドとも違う、なんだか力のない無気力で倦怠感があり自堕落な歌詞、時代を反映しているのか自分を反映しているのかも分からない世界観、さまざまな箇所が省略されたミニマルな曲もあれば、やたらに広大なことを語って、複雑なことをやる曲もある。それくらいに、このバンドはなんだか難しいのだ。

 だからこそ、今回から、頭の体操がてら、そんなバンドの歌詞を、片っ端から真面目に解釈していこうと思う。

 

 単純そうに見えて単純でない彼らの歌詞は、様々な解釈が可能であり、そういう頭の体操には持ってこいだからだ。

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 では、今回は、メジャー1stアルバム「coup d'Etat」を、解釈していこう。あくまで頭の体操として行うのが目的なので、このシリーズではなるべく「当人のインタビュー等を省き」「あくまでsyrup16gが作った歌詞の世界の中でいかなる解釈が生み出せるか」を試していこうと思う。

 インタビューを使ってしまうと、どうしても「こう言ってました」「じゃあ、それで終わりだね」となってしまって、なんだか頭を使わないので。

 

 この記事では一曲目「My Love’s sold」を解釈してみる。

https://rocklyric.jp/lyric.php?sid=151883

 

 歌詞を読んでみると分かるが、この曲はとても解釈の余地に富んでいる曲だ。

言い換えると「わりと具体的に何を言っているのか分かりづらい曲」と言える。

だが、解釈のとっかかりは確かに存在している。特にこの歌詞の中で目立つのは「Love」だろう。タイトルにもなっているし、サビでも「自分のLoveは、既に売った」と繰り返し歌われている。そして、なにより歌詞の始まりが「愛されたいなんて言う名の幻想」とあり、この歌詞において「愛」が何か重要な意味を持っているのは明白だ。

 

  では、この歌詞で歌っている「愛」は主にどういう方向性の意味で使われているのだろうか。

 それを探るため、各Aメロで歌われている歌詞に着目していこう。

 一つ目のAメロは「本当の自分をもう信じていない」

 二つ目のAメロは「あんたの言ってることはうつろっていく」

 三つ目のAメロは「みんなが求めるものは訳分からない」

 こう並べてみると、総じてこの歌詞は「本当の自分なんてものは信じていない」「あんたの言うことも信じていない」「みんなが言う、求めるものも信じていない」といったところだろうか。そして、いずれのAメロでも「もうだってさ」と枕詞がついており「昔は信じていたが、今は信じなくなった」というニュアンスが入っている。

 

 つまり昔は信じていた「本当の自分」「あんたの言うこと」「みんなが求めるもの」が信じられなくなったのでXXXX……というのが、この歌詞の言いたいことだと推察できる。

 

 では、次にXXXXの部分に入るのはなんなのか考えてみよう。つまり、結論に当たる部分だ。信じられなくなったから…………なんなのか?

 そこの部分が実は歌詞中には、なかなか登場していない。信じられなくなったからXXXXの箇所に入りそうなフレーズが、歌詞の中では希薄なのだ。この結論の希薄さがsyrup16gの解釈を広げている要因でもあり、同時に無気力な感じを生み出している原因でもある。早い話、syrup16gの歌詞は結論が薄いのだ。

 しかし、まったく結論がないわけでもないし、薄いからと諦めてしまっては解釈が成り立たない。どうにか歌詞中に結論に近そうな要素がないか探すと、実は「好きなようにやるだけです」と「My Love’s sold」が入ることに気づく。

 

 本当の自分も、あなたの言うことも、みんなの求めるものも信じられなくなった、だから、自分は好きなようにやる。だから、自分の愛はもう売ってしまった。

 

 文章にしてみると、意外に収まりが良く、しっくりくる。この自暴自棄なんだか、ポジティブなんだか分からない決意こそが、この歌詞の肝なのだろう。

 この曲はメジャー1stアルバムの第一曲目にあたる曲だ。その意味においても、決意を表明していることに違和感がない。

 

 これがこの歌詞の趣旨だとすると、この歌詞が示す「愛」についても、だいぶ検討がついてくる。この歌詞の愛は、どちらかというと愛欲や性愛の愛ではなく、純愛の愛でもなく、どちらかというと愛情に近いものだろう。

 おそらくは、自分の歌を聴いてくれるファンや、リスナーに対する「愛」あるいは音楽そのものへ抱く「愛」の類いであるだろうことは、想像がつく。

 

 そこを踏まえて、今度は冒頭のフレーズに戻って着目してみよう。

「>愛されたいなんて言う名の幻想を消去して」

 歌詞全体を見る限り、この箇所で使われている愛は、歌詞全体で使われている愛と同じものを指しているらしいことが分かる。

 つまり、ここで言う愛されたいなんていう名の幻想とは、ちょっと極端に言い換えてしまえば愛されたい=自分達からの愛を貰いたい=「ファンが期待しているファンサービス」や「自分達の音楽に対する周囲の期待」のようなものだと分かる。

 それらを消去して沈んでいく箱の船。ひょっとするとこの歌詞はそれこそがsyrup16gだ、と言いたいのかもしれない。実際、syrup16gはこの1stアルバムで、とんでもないファンへの裏切りをしている。今までライブで定番だったあの曲、この曲の殆どがこのアルバムには収録されていないのだから。

 このアルバム自体が、実のところ「syrup16gといえば、アレだよね。アレは絶対アルバムに入れてるよね」というファンの幻想を消去して回っているアルバムなのだ。

 

 また、この歌には少しだけ、過去に作った自分達の曲に相対するような描写も入っている。それがまた、ファンサービスへの幻想を消去しているsyrup16gという解釈を補強してくれる。

 「>およそ君が欲しがっていると思われる、軽いスリルと安心感を僕なりの方法で探してみるから」

 ――Honolulu☆Rockより

 これは彼らの1stインディーアルバム「free throw」のHonolulu☆Rockにて歌われている歌詞だ。およそ君が欲しがっていると思われる安心感を、探そうとしている歌詞だ。それがこのMy Love‛s soldでは、前述のように「みんなが求めているものなんて訳分からない」と探していることを放棄する歌詞が描写されるのだ。そして、サビでこう歌う。

「>あとはなんか適当さ

  安心感なんか敵だろう

  My Love‛s sold」

 探していたはずの安心感を敵だと言い切ってしまうのである。これは明らかに相対している歌詞と考えていいだろう。syrup16gは、みんなが求めているものが分からなくなったから、みんが求めていること=安心感を探してうだうだやるのはやめて、適当にやっていくさと歌い上げるのだ。そして、自分たちはそれを売っていくという宣言だ。そして、適当に見えるけど、一応臨戦状態なんだと言って、ある意味、ファンを威嚇する。

 

 これは普通のメジャー1stの一曲目からすると、だいぶ歪んでいる歌詞だと言えるだろう。普通はせいぜい「ファンを大事にするぜ」と歌うか、あるいは「金に汚い大人どもに俺たちの魂を売るぜ」と歌ったりするのが、この手のロックバンドがやることだ。

 そこからすると、ファンに喧嘩を売り、そして、曲を買っている大人に対しても喧嘩を売り、自分自身にも喧嘩を売って、「いい加減にやっていきますんでよろしく」と睨みつけてくるこの曲は、他と明らかに一線を画すものだ。

 

 だが、しかし、syrup16gの場合はこの宣言が正しいのだ。いや、正しかったのだと後で気づかされることになるのだ。syrup16gほど、やることなすことを、次々と変えていき、休止のときも再開のときも、ファンと周りとそして、本人たち自身をも惑わせたバンドはないからだ。

 なんなら、誰もが今も惑わされている。

 

 そんな箱船がsyrup16gなのだ、と言われたとき、自分はただただ「確かになぁ」と頷くしかない。これほどまでにメジャー1stに相応しい曲もないのではないだろうか。