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東杜来のブログです。月に1,2回の更新。

掌編:対話2

「背景はいると思う?」
「いると思うって、私の目の前に絵なんて特にないのだけど。映画もないし」
「でも、背景があるものはあるでしょ」
「絵でも、写真でもなくて?」
「うん」
「それで、背景があるもの――あぁ、そういうこと」
「そういうことなんだけど、で、それで、背景はいると思うか。いらないと思うかについて聞いてみたいなって思うんだよね」
「まあ、必要でしょ。そんな絵でも、背景が無いと言いつつも真っ黒い背景なり、真っ白い背景なりが必ずあるものだから、つまり、それについても、背景というものは必要でしょう」
「けど、真っ黒い背景と真っ白い背景の絵って、なんだか幼稚な気がしてしまう」
「模様くらいはあった方が格好いいとは、私も思う。幾何学的でなくても、場合によってはランダムでもいいかもしれない。縞模様のようなものでもいい。筆で乱雑に書き殴ったようなものでも十分かもしれない。ともかくとして背景は必要なものだと確実に言えるわね。これがないかぎりは、その物は、この世界にキチンと存在として存在できていないと言っても過言ではない」
「もっと言えば、勝手に物があれば、物の背後は全て勝手に背景になるとも言えるのかもね。キチンと物として作られていれば、その後ろはほぼ自動的に背景と化している。それが例え、地球の最後の瞬間であっても、例え、天国の門の前であっても、煉獄の最下層であっても、サーカスの天井であっても、大津波であっても、胃の中であっても、潰れた心臓であっても、物があるかぎりはそれは背景になっているはずだし、物がなければそれは背景になっていない」
「お為ごかしが長すぎると思うし、それは良くないと思う」
「勝手にしてくれ。老人が説教するのが好きのと一緒だよ。僕はお為ごかしを語っているのが好きなの」
「物事を解体しているように見える革新的な行いは、実は、老人の説教と同じくらい行為としては、退屈で頑固で保守的なのかもしれないわね」
「前の会話に比べて随分、IQが上がっていると思わない? 僕たち」
「説明的すぎて、かえって下がっているとも言えるかもしれない」
「そうかな」
「そもそも、頭が良いかどうかなんて価値基準は、金曜に出しておくべきゴミよ」
「金曜のゴミ? そういえば、プラスチック系の包装ゴミを出す日にちが最近変わったってさ」
「そうなの?」
「土曜になったんだって」
「それ、絶対嘘でしょ。回収車来ないんじゃない?」
「かもね」
「だよね」
「回収車は、月火水木金土日のうち、月火水木金で活躍するから、つまり、アレの背景は月火水木金なわけだね」
「更に、ちょっとおバカになったかな。私たち」
「さっき、どうでもいいって言ったじゃん」
「言ったけど、でも、気になる」
「そういえば、明日、遊園地に行くって話さ――」
「あぁ、それ。気になるの? 気になるの? あぁ、気になるんだ――」