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東杜来のブログです。月に1,2回の更新。

掌編:ファーベラルティン

 人はみな、ファーベラルティンのせいだという。ファーベラルティンとは、誰かが事故で生成した、概念であり、それは絶え間なく、陽青色をしながらも、時折には黒天色と化していると言われる。概念的かつ、物質的で科学者の興味も突きず、哲学者の心も満たし、社会学者はひっきりなしに引用をしている。このため、ファーベラルティンは、様々な場所で用いられている。例えば、吸い込む空気の中、水中、歓びの迸り、隔たり、文字の中、あの丘の向こう、天の采配、地の湿り、虎の子走り、蝶の舞い、明日への祝い挙げればキリがない。悪事の中にも、ファーベラルティンはあり、しばしばファーベラルティンの危険性は説かれる。だが、危険性の中にファーベラルティンがあっても、ファーベラルティンの中に危険性はない。ファーベラルティンは概念としてファーベラルティンであるゆえだ。

 だが、危険性があると言いたいのだ。