掌編:月の真似をして
月の真似をして、水面に映るつもりだった。
月の真似をして、輝くつもりだった。
月の真似をして、夜中にいるつもりだった。
月の真似をして、寡黙でいた。
月の真似をして、ただ存在していた。
月の真似をして、白くあるつもりだった。
月の真似をして、カメラには小さく写った。
月の真似をして、朝には沈むつもりだった。
月の真似をして、ときおり、青空に浮かぶつもりだった。
月の真似をして、いない。
月の真似をして、いるとは言い訳くさい。
月の真似をして、いるのは難しい。
月の真似をして、いるつもりなのだろう。
月の真似をして、いるそちらもまた。
月の真似をして、いるのは言い訳だ。
でも、月の真似をして。
掌編:天使の性別
たまに、心の中で少女が疼く。僕は男だというのに、そして、性同一性障害のようなものを持っているわけでもないのに、なぜか、ふと、少女が芽生える。街を歩いていると、女性を目で追う時がある。性的な対象として見たためではない。憧れを持って見たためだ。彼女の服は、洒落た色使いがなされていて、スカートが格好良かった。かわいいのではなく、格好良かった。そのためについ、目で追ったのだ。
幼い記憶を思い起こしてみる。自分は、同い年の女の子に、弟のように扱われていた。背が低いこと、当時は人形のような容姿であったことが作用して、女の子にとっては、この上なく、弟として扱いたかった存在だったのだろう。そして、案の定、僕は弟としていつも扱われていた。だが、思い返すと僕自体は、弟というより妹のつもりで居たような気がする。当時の僕に、自らの性別がどうのなんて意識はない。
少し時は後になるが、初めて小学校に通う前、母親がランドセルを買おうとしているところ、横で、赤のランドセルがほしいとねだったこともあった。性別の意識なんてそんなものだ。女性として生まれるのではなく、女性になるのである、とは誰の言葉だったか。実存的な言葉だ。
間違ってはいない。確かに僕らは、そのとき天使の性別を持っていて、あとで男になっているだけだ。だから、きっと、あのときの僕は本当に妹であったのだろう。そして、天使のときに得たそれは、未だに、ふと僕の中から飛び出すのだ。
掌編:対話3
「最近、ココアにハマってるんだよね」
「なにこれ、苦いんだけど」
「それは純ココアだから仕方ないよ。砂糖を混ぜてゆっくり練って、自分好みの味に仕上げて牛乳で解いて飲むものだからね。自分好みにできるあたりが、僕のお気に入りなんだよね。とても美味しいんだ」
「自分好みにしてるんだから、当然だよね」
「まあね」
「と言いつつ、ココアを差し出すあたりが鬼畜の所業」
「いいから飲みなさい」
「へいへい」
「一口飲んでみたら、世界が変わるから飲んでみるといいんだよ。このココアはちょい酸味が強めなやつでね。苦味が強めのものもあるんだけど、僕としてはこちらのほうがお気に入りだね。砂糖で甘ーく味付けしてみると、この酸味がアクセントとしてよく利いてくれ」
「世界が変わった!」
「突然、どうしたの?」
「飲んでみたのよ」
「だからって、叫ばなくても」
「さっき自分で世界が変わるって言ったくせに? 言ったくせに、人が言うと引くパターン? それ、どんな罠なの? ねぇ、どんな会話の罠なの?」
「だって、叫ぶのはさすがに引くって」
「世界が変わった!」
「……まあ、それはそうとして、そのコップ僕のやつだから、飲み終わったらちゃんと洗ってね」
「え、私、あんたと間接キス?」
「そんなこと気にする年齢?」
「思春期は、10年前に過ぎました」
「じゃあ、いいじゃん」
「世界が変わった!」
「世界が変わった!」