どうでもいい話(2)
将棋をやっていて気づくのは、感覚がどことなく、「物語を作る感覚」に似ているということだ。なんというか、そこそこ論理的に考えながら先を見通しつつも、完全には全てが見通せないので、ある程度は感性に頼って出たとこ勝負で進めていく感じが似ている。
そして、だいたいの場合で、読み通りにはいかず、だんだんと違う方向に展開が進んでしまうところも、なんだか似ている。その都度、頭を切り替えて、先を見通し直して、次の手へと進める――というのも、なんだか似ている。少なくとも、僕はそういう感覚で物語を作っている。
物語を作っている人の中には、終わりから始まりまでが完全に、形式として決まっていて、そこにいろいろなモノを載せるだけの人もいるようで、それを理想としている人もいるようなのだけど、僕からすると「それは物語の理想ではないかな」という感じ。
むしろ、「思い通りにいかないこと」が、物語を作る・読むという行為の醍醐味の一つであると思う。「思い通りにいくのが楽しい」というのは、僕からすると、うーん、言いづらいが、少し幼稚な価値観に思える。
2日連続で薄い記事を書いてしまったけど、まあ、そういうブログなので、勘弁。
じゃ!