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東杜来のブログです。月に1,2回の更新。

好きなアニメは学園戦記ムリョウ(5)

なのである

 


学園戦記ムリョウ:オフィシャルサイト

 

 

「なのである」始まりとはなんぞと思うかもしれないけれど、ともかくとして、まあ、大好きなのである。学園戦記ムリョウが。中学生の頃から見て以来、自分の人生観と世界観と世間観が変わるほどの影響を受けてしまってからというもの、ずっとこの作品のファンである。

 学園戦記ムリョウは素晴らしい。どこが素晴らしいかというのを事細かく挙げるといろんな要素が挙がってしまうのだが、分かりやすく言って「日常系とSFの融合」の先駆である。日常系とSFを混ぜるという手法は最近でもちょいちょいと目立つモノになっている。断言できるが、それの先駆はこれである。

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 第五弾の今回は、かなり大真面目な話になる上に、しかも、ネタバレも全開になる。

 そのため、この記事のこれより下は、学園戦記ムリョウを既に鑑賞し終わった人のみが見るよう推奨したいと思う。鑑賞していない人は、これより下は読むのを非推奨――いや、禁止である。

 

 

 さて、過去四回にも渡って、学園戦記ムリョウの魅力を語り倒してきたが、まだまだ学園戦記ムリョウの魅力は語り足りない。学園戦記ムリョウを最後まで鑑賞したあなたなら、僕が、まったくと言っていいほど学園戦記ムリョウの魅力を語りきれていないことに気づいているだろうと思う。

 なにせ、このアニメが最もすごい部分についての言及を避けてしまってきているのだから。それは「この物語、全体が意味するもの」である。

 そして、物語全体を語るにおいて、あるアニメの存在を欠かしてはならないのだが、今まであえてこのアニメの名前だけは出さずに魅力を語ってきていた。が、ハッキリ言って、今、学園戦記ムリョウの魅力を語るならば、このアニメの存在は絶対に不可欠なのだ。

 それは魔法少女まどか☆マギカだ。

 

 おそらく、学園戦記ムリョウを最後まで見終わった人の中でも、首をかしげる人は多いに違いない。「一体、どこに魔法少女まどか☆マギカが関係しているのか?」と。学園戦記ムリョウ魔法少女まどか☆マギカよりも10年前に放映された作品であり、一見すると関係無いようにみえるだろう。だが、同時に「そう、それ!」と思っている人もいるはずだ。

 なぜなら、魔法少女まどか☆マギカの様々な要素が、学園戦記ムリョウに似ているからだ。これは、おそらく、まったくの偶然でこうなったのだと思われる。事実として、まどか☆マギカは、学園戦記ムリョウに似てない部分も多分に含んでいる。だが、物語の核を担っているものがそっくりなのである

 どういうことなのか。順を追って説明しよう。

 

 まず、学園戦記ムリョウの世界の全体像を簡単に整理しよう。

 ・最終回を見た人なら、全員が分かっていると思うが、学園戦記ムリョウに存在していた謎の力・シングウの正体は、ムゲンという”かつて人格を持っていた勇者(ここにおける勇者とは、強大な力を持った存在のことを指している)”である。

 ・彼は過去の戦争で力の限界を超え、暴走し、銀河一つを吹き飛ばしてしまったために封印されていた。彼の力を呼び起こすことで、那由多はシングウとなって、戦っていた。

 ・ムゲンの力はとてつもなく莫大な力であり、銀河一つを消滅させてしまったことがあるほどの危険な力だ。

 ・ジルトーシュはその危険な力をどうにか制御するために、少しずつ小規模の爆発をさせ、地雷処理のようなことをしようと目論んでいた。(この小規模の爆発は、言っても”銀河一つの消滅というレベルの爆発から比較した場合の”小規模であって、爆発自体は地球からしてみれば十分巨大で、太陽系ごと消滅させてしまうレベル)

 ・そのため、ジルトーシュはあえて、ジルトーシュ自身の手でシングウの力を使っている那由多に、幾多の試練を与え、最後の試練にて、シングウになった那由多を限界まで追い詰め、彼女の力を暴走させることを計画していた。(ちなみに、このジルトーシュの計画は、サナドンに入力されていたプログラムが二万年以上前の言語だったことからして、二万年前から組まれていたことが分かる)

 ・その計画に反対していたのが、ムゲンの妹である刹那だ。

 ・彼女はジルトーシュの計画を阻止するために、地球人と交わり、子を産み出し、いずれ地球人がムゲンの力を制御できるまで精神的に進化してくれることを願って、天網の民、及び神輿おろしや星の儀式というしきたり/システムを作った。

 

 以上が、学園戦記ムリョウの世界にある真相だ。

 ここで一つ気がつくことがある。ジルトーシュのやっていることが、ほとんどキュウべぇと同じだという事実だ。

 キュウべえは、宇宙のエントロピー増大を防ぐために、魔法少女たちを意図的に追い詰めて感情のエネルギーを放出させ、エントロピー縮小を図っていた。そのために、ワルプルギスの夜という強力な試練まで用意して……。

 このとおり、ジルトーシュはエネルギーを拡散させようとしている/キュウべえはエネルギーの拡散を防ごうとしている、という設定上の違いはあるものの、やっていることの主旨はほぼ同じである。事実として、ジルトーシュもキュウべえも基本的に、地球のことを道具扱いしているという共通点がある。*1

 

 しかも、まどか☆マギカで「魔法少女が限界を超えて魔女になる」ように、学園戦記ムリョウでもやはり「シングウが限界を超えてムゲンと変貌する」という共通点まで存在している。しかも、キュウべえ/ジルトーシュの計画を阻止しようとする存在(ほむら/刹那)がいるという構図まで、実は一致してしまっているのだ。

 

 しかも、共通点はここだけではない。山川賢一著「成熟という檻 『魔法少女まどか☆マギカ』論」によると、魔法少女まどか☆マギカにおける、「まどか、キュウべえ、ほむら」という三者はそれぞれ「正義、理性、愛」の象徴になっているとの話であった。

 確かに他人のために戦おうとしているまどかは「正義」と呼ぶに相応しいし、より大きな意味で世界を救うために、小さい滅びを起こそうとしているキュウべえは「理性」と言って差し支えない。まどかを愛し、そのためだけにキュウべえの思惑を阻止しようとしているほむらは「愛」だといえる。

 と、ここまで書けば、当然、学園戦記ムリョウを見た人ならば大半の人が、ざわざわとした予感を覚えるだろう。そうである。この「正義、理性、愛」という構図が、学園戦記ムリョウにもそのまま当てはまってしまうのだ。

 最後の試練にもみんなのためと言って無茶を承知で立ち向かいに行ってしまう那由多は「正義」であるし、キュウべえとほぼ同じ行動を取っているジルトーシュは「理性」と言え、そして、劇中、峯尾晴美に「好きだから、強くなれるんだよ」と愛を説いていた刹那は「愛」の人だ。

 

 ただ、前述したように、当然ながら違いだって存在している。例えば、学園戦記ムリョウには、まどか☆マギカのような時間ループネタなどない。(正確には、時間ループネタもあるにはあるのだが、物語の本筋とは関係ない、小ネタとして出てくる)

 更に違うのは主人公だ。

 魔法少女まどか☆マギカの場合は、主人公は「まどか」であり、裏の主人公として「ほむら」がいるということになっているが、学園戦記ムリョウの場合は、那由多は主人公ではないし、刹那も当たり前だが主人公ではない。

 

 第一回目でも述べたように主人公は村田始である。そして、及びもう一人の主人公として統原無量が存在している。

 それにオチも違う。まどか☆マギカは、世界がもう一巡してしまうのだが、学園戦記ムリョウは別に一巡などしない。そして、なによりも試練に対する解決方法が決定的に違う。ここが一番の差だろう。

 

 だが、僕はこの差にあたる部分こそが、学園戦記ムリョウの最も素晴らしいところだと思っている。世界を一巡させない、リセットさせない解決方法を取ったからこそ、学園戦記ムリョウはすごいのだ。

 まどか☆マギカの脚本を手がけた虚淵玄は、かつて「物語にハッピーエンドをもたらす行為は、条理をねじ曲げ、黒を白と言い張って、宇宙の法則に逆行する途方もない力を要求するのだ( Fate/Zero Vol.1 あとがき)」と述べたことがあるが、それに沿って言えば、学園戦記ムリョウは、途方も無い力ではないもので、ハッピーエンドを創りだしてしまったアニメなのだ。

 このアニメはちょうど、まどか☆マギカが放送される10年前に放送されたアニメなのだが、そういう意味において、まどか☆マギカより前に、まどか☆マギカを超越する答えを出してしまっていたアニメなのである。

 

 そのキーになるのが、主人公二人の存在だ。統原無量と村田始。最後の最後において、ジルトーシュでさえ「名コンビ」と言わしめた二人がいたからこそ、この物語は、成立したのだ。

 特に村田始である。学園戦記ムリョウの最終回を見た人ならば、誰もが知っていることだが、那由多が最後の試練を突破したのは、村田始の機転があったからである。ただし、第一回目でも述べたように、村田始には特別な力など備わっていない。全てが逐一、普通でしかないのが村田始の特徴であり、普通すぎるために、他にまったく例を見ないキャラクターとなっていた。

 そう、村田始に力なんてないのである

 だが、力のない彼が世界を救ってしまったのだ。

 

 

 普段にないほど、書きすぎてしまったので、これがどういうことなのか、詳しいことを述べるのは、また次回!

*1:学園戦記ムリョウを見た人ならば、最終回にて、地球人のことを「(ムゲンの力を放出させるための)蛇口」地球を「(ムゲンの力を一時的に封印しているので)ポリタンクとかバケツ」と表現するジルトーシュを覚えているだろう。