掌編:嘘つきは泥棒の始まり
自分を理解してくれる人がきっと世界のどこかにはいて、だからこそ、ニッチな方法論で、これからの世界は自分の収入を得ることが出来る(――嘘つきは泥棒の始まり)のです。
当然ながら、僕はそんなもの信じているはずがない(――嘘つきは泥棒の始まり)のだけど。
それでも、僕がつらつらと小さい文章を綴るのは、醜い自己承認要求がさせている、極めて知性に欠けた行いである。
同時に、こうやって自己を過度に貶すのは、防衛本能の働きであり、これによって、人からの批判を避けているのだ。
では、避けないようにしよう。さあ、みんな、僕を叩いてくれ。
僕だって心の片隅に、それくらいの覚悟ならば残っている(――嘘つきは泥棒の始まり)と信じている(――嘘つきは泥棒の始まり)のだ。
だから、さあ。お願いだ。批判をしてくれないか。正直に言えば、批判されれば傷つくのは当然のことだ。
しかし、僕は甘んじて受け入れたい(――嘘つきは泥棒の始まり)と思っている(――嘘つきは泥棒の始まり)。
僕は両手を広げて(――嘘つきは泥棒の始まり)、みんなの前に(――嘘つきは泥棒の始まり)立とう(――嘘つきは泥棒の始まり)。
殆どの人が、僕になど注目していないかもしれない。
事実、あまり、人目に晒されていないようだ。
なんて悲劇(――嘘つきは泥棒の始まり)なんだろう(――嘘つきは泥棒の始まり)。喜劇(――嘘つきは泥棒の始まり)とも言えるかもしれない(――嘘つきは泥棒の始まり)。
注目してもらえたら、喜ばしいことに(――嘘つきは泥棒の始まり)批判だって貰える。
僕にはそれすらない。
だからこそ、(――嘘つきは泥棒の始まり)注目が欲しい(――嘘つきは泥棒の始まり)と願っている(――嘘つきは泥棒の始まり)。だが、同時に注目されるのは(――嘘つきは泥棒の始まり)どこか怖い(――嘘つきは泥棒の始まり)。ジレンマに悩んでいる(――嘘つきは泥棒の始まり)。