唐突に…。
私の嫌いなものがまた出てきた。本物主義というやつだ。本物のレストラン、本物の人たち、本格的なもの、本当の人生なんて、これ以上の偽物はない。人生は、もっと違う場所にある。
僕の2014年で最も感銘を受けた小説、ダニー・ラフェリエールの「吾輩は日本作家である」に出てくる文章にこんなものがある。本物。本当のもの。本格的なんて名前を冠したあれやこれや。それら全部は、くだらない。偽物である。とダニー・ラフェリエールは断じる。
僕も、この言葉には強い共感を覚える。
今日も、ネットを見回すと「本物」をみんな探しているのではないかと思う。結局、ブログ記事の書き方、なんて記事や、人生の処し方なんて記事が蔓延っているところを見ても、極めてそうとしか思わない。
だが、それらは全部、偽物でしかないのだ。
結局俺はニセモノなんだ
見世物の不感症
拾った思い吐き出して
愛されたいのまだ
ネットは、発達すればするほど、拾った思いを吐き出すことに特化してきた。
それは、例えば一般人に限った話ではない。有名な表現者などであってもそうなのだ。みんな、どんどん、リツイートし、いいねし、トラックバックし、拡散し、そうやって拾った思いを吐き出すのが上手くなっていった。
その分、本物を求める志向もトコトン強まっている。自分の意見に、確かさがないと知っているからなのだろうか。みんな、何かといえば、本物や本格的なものがどうだなんだ。残酷描写があれば本物、泣ければ本物、自分の政治的主張にとって都合がいいことが書いてあれば本物、自分自身の情けなさを肯定してくれれば本物、ってそんな感覚で、本物本物ってなにもかもを認定しようとする。
しかし、全てくだらない。
全部、所詮は偽物である。