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東杜来のブログです。月に1,2回の更新。

ポプテピピック=萌えアニメの敵とか、お前、マジで言ってんの?wwww

 言うまでもなく、最近、ポプテピピックのアニメが非常に話題だ。今期どころか、一年中延々と話題になってそうな勢いで騒がれている。騒がれている理由としては、その無茶苦茶な内容を指してのことだろう。

 とにかく、ポプテピピックは無茶苦茶だ。なぜか毎回、放送を二回繰り返す構成。唐突なフランス語。5分程度の小ネタを続けるだけの内容。AC部製作の崩れたアニメーション。最近、あまり見かけなくなった、いわゆるシュールギャグのアニメに、見慣れていない視聴者たちが度肝を抜かれているのだ。

 

 で、これだけ話題になると当然だが、叩いてくる人が現れる。

 叩いている人の言い草を、だいたいまとめるとこのような感じだ。

「・ここまで物語のないアニメは許されない」

「・文化の危機だ」

「・アニメの終わりだ」

「・萌え文化が崩壊する」

「・萌えアニメの敵だ」

 

 ーーまあ、この記事の題にもある通り、これら上記の指摘はハッキリ言って「言ってるやつが無知すぎる」だけなのだが、どこがどう無知なのか分からない人も多いと思うので、この記事で簡単にまとめたい。

 

まず、

ポプテピピック的なコンテンツは昔からあった

 ツイッター等で指摘する人もいるが、モンティ・パイソンカリギュラマシーン、ウゴウゴルーガなど国内外問わずに、この手のコンテンツはかなり昔から存在しているものだ。

 だが、この指摘だけだと面白くない。

 この手のカオスなコンテンツ愛好家から、深く指摘させてもらうと「カオスなエンターテイメント」というのは、実は相当に昔から存在する「歴史的な文化」だとハッキリ言っておきたい。

 

そう、

・内容が無茶苦茶なエンターテイメントは、文化の一種だ。

 この手の話が無茶苦茶なエンターテイメントというのは、脈々と世界中に存在しているものだ。例えば、今や、ほぼ誰もこの呼称を使うことがないのだが、文学史にナンセンス文学という呼称が存在していた時期もある。

 ポプテピピックのように、物語の骨組みや中心の論理性そのものを破壊した文学のことだ。有名どころで言うとルイス・キャロルの「不思議の国のアリス」などが該当する文学のことである。マザーグースなどの作者不明の民話なども該当することがある。

 シュルレアリスム、なんて言葉が使われる前から、こういったエンターテイメントは存在しており、その歴史は下手なそこらへんの芸術文化よりも長い。これもまた立派な文化の一つなのである。

 文化を破壊するものなど、とんだ見当違いだ。

 

萌えアニメにも、内容が無茶苦茶なものはたくさんあった

 というか、ハッキリ言って2000年代初頭ーー「萌えアニメ」文化が芽吹いたころの萌えアニメは、基本的に「男がシコりたくなるような美少女がアハーンする」内容ではなく「美少女が出てきて、ゲスい顔でシュールなギャグを繰り広げるもの」だった。

 そう、萌えアニメポプテピピックに美少女を足したような内容だったのだ。

 例えば、デ・ジ・キャラットなどを見れば分かりやすい。


アニメ デ・ジ・キャラット 第12話「怪獣、その他現る!」XviD 640x480

 この、佐藤竜雄絵コンテの12話「怪獣、その他現る!」なんて、ポプテピピックと比べても劣らない訳の分からなさだ。唐突に出てくる怪獣。なぜか挟まれる崩れた絵のカット。勢いだけで、いい加減に進む話。出てきた意味がない宇宙人。

 話自体も2分ちょっとしかないため、こんな調子で15分くらいに話をまとめれば、まさにポプテピピックになる。

 ギャラクシーエンジェルなどもそうだったし、小麦ちゃんのようにインターネットミームネタだらけのアニメというのもあった。ガルパン水島努なんか、この頃はそういうアニメしか作ってなかった。

 

 まあ、こんなことばかり言っていると老害だのと言われそうなので、もう少し、年の近いアニメを持ってきてもいいだろう。

 例えば「にょろーん ちゅるやさん」なんてどうだ? ポプテピピック以上に話も、内容も、何もなかったがオタク内では大ヒットしていた。そして事実、あれは面白かった。

 例えば「プラスチック姉さん」なんてものもある。水島努が監督したアニメだが、これも、単発のシュールネタばかりが出てくることが多かった。

 

 要するにポプテピピックは「萌えアニメのもう一つの側面」を、一点集中させて浮かび上がらせたようなアニメなのだ。

 

 本当に、これが萌えアニメの敵とか、お前、マジで言ってんの?wwwww