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東杜来のブログです。月に1,2回の更新。

掌編:天使の性別

 たまに、心の中で少女が疼く。僕は男だというのに、そして、性同一性障害のようなものを持っているわけでもないのに、なぜか、ふと、少女が芽生える。街を歩いていると、女性を目で追う時がある。性的な対象として見たためではない。憧れを持って見たためだ。彼女の服は、洒落た色使いがなされていて、スカートが格好良かった。かわいいのではなく、格好良かった。そのためについ、目で追ったのだ。
 幼い記憶を思い起こしてみる。自分は、同い年の女の子に、弟のように扱われていた。背が低いこと、当時は人形のような容姿であったことが作用して、女の子にとっては、この上なく、弟として扱いたかった存在だったのだろう。そして、案の定、僕は弟としていつも扱われていた。だが、思い返すと僕自体は、弟というより妹のつもりで居たような気がする。当時の僕に、自らの性別がどうのなんて意識はない。
 少し時は後になるが、初めて小学校に通う前、母親がランドセルを買おうとしているところ、横で、赤のランドセルがほしいとねだったこともあった。性別の意識なんてそんなものだ。女性として生まれるのではなく、女性になるのである、とは誰の言葉だったか。実存的な言葉だ。
 間違ってはいない。確かに僕らは、そのとき天使の性別を持っていて、あとで男になっているだけだ。だから、きっと、あのときの僕は本当に妹であったのだろう。そして、天使のときに得たそれは、未だに、ふと僕の中から飛び出すのだ。