掌編:松阪牛背中男
薄暗闇から男がぬぅっと現れた。出で立ちを言えば、中折れ帽にコート、常に濁った瞳で鋭くあたりを見回し、皮肉の上手そうな口が、得意気に折れ曲がっている。葉巻を咥えて、吸う。香りを噛んで、ゆっくりと舌を回す。口から零れた、白い煙は亡霊のように空気へと消えていく。
ところ変わって、薄汚いヤクザの事務所。
焦りを見せているのは、宝石のあしらわれた指を、せわしなく蠢かせている、巨漢だ。
ダブルのスーツ。釦は今にも銃弾のように跳ね跳んでしまいそうだ。
「お前、何をしてくれたんだ」
机を靴でドンと叩き割って、巨漢は床に土下座する三下を、驚かせた。
「ひぃっ…すんません。すんません。そんなつもりじゃなかったんです。ちょっと、弱そうな老人を脅すつもりで。なんの変哲もない爺さんだと思ったもんでして」
「言い訳はいい。ともかくとして、お前が奪った爺さんは、ただの爺さんじゃないんだ。不味いぞ。これはあいつらに、ウチを荒らす口実与えたようなもんなんだ。お前、それ分かっていってるのか」
「分かってます。分かってます」
「分かってるなら、責任取れ。こんな事態にした責任を取って……」
ガツガツと、激しい音で靴を鳴らす。喋っている途中だったが、突然思い立ったように、巨漢は三下を蹴り飛ばす。顎から蹴り飛ばされた彼は、その、くるりとアーチを描いて、回転し、元の土下座した姿に戻った。
もう一度、ぺこぺこ頭を下げる。
「分かってます。分かってます。本当に。本当に。本当にすみませんでした」
「すまないなら、責任を取れって言って……」
また、途中で言葉を切って、叩き割れた机をもう一度叩き割った。
これで四分に割れた。
「責任責任責任責任月火水木金土責任」
巨漢が言う。
「肉饅くん。こういう場合、組織の親球というのは、責任の所在よりも、先に問題の解決を先に済ませるものだよ。親玉ならね」
事務所に響く声に巨漢、肉饅は驚く。
「その声は」
「最も、その程度の器の親玉だからこそ、その程度のチンピラを雇ったとも言える。似たもの同士というやつだね。ま、結論から言えば、自業自得だよ。責任を問うならば、お門違いというやつだ」
「貴様ぁ」
肉饅は苦々しく、その名を呟いた。
「松阪牛背中男」
「いかにも、松阪牛背中男――もとい、焼き飯蓮華刑事だ。さあ、組長・肉饅及び、つみれ汁組の組員たち。皆、おとなしく、手首にワッパを通してもらおうか」
松阪牛背中男――もとい、焼き飯蓮華刑事の活躍はいかに。
とりあえず、僕は鍋が食いたい。