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東杜来のブログです。月に1,2回の更新。

掌編:グラスビュー

 見つめるのだ。そっと見つめ続けるのだ。そうして、グラスの向こうにある景色を、与えられるようにではない形で見出すのだ。例えば、色のついた硝子でもいい、真っ黒な烏でもいい、誰かのツマミの唐墨でもいい、色の澱みから上澄み取っただけのような発色をする殻でもいい、とにかく、見つめるのだ。誰かが言う。常に真実は、現実に映されてなどいない。それは生活の中にはなく、常に芸術の心にしか宿らない。真実とは常に芸術家の魂の叫びの中に、幾分か含まれるものなのであると。

 グラスを通してそれを見ることに、そういった意義があるとか思ってんじゃねぇよ馬鹿。